経歴
株式会社ロマンドーロールの創業者となる長谷部文康は1974年12月26日に福島県飯坂温泉で老舗和菓子屋の4代目として生まれる。
高校卒業後の18歳から23歳までの5年間、和菓子屋、洋菓子屋で修行を積む。
修業時代に、福島の友達と一緒にアメ車に乗って東京にナンパをしに繰り出し、ナンパした女の子達に「アメ車じゃなくてポルシェがいい」と言われ、一旦福島に帰り出直す。
お金が無いため自分ではポルシェを買えず、帰って早速父親に「ポルシェ買ってくれ」と頼んだところ激怒され、自分で買うために商売を始める決意をする。
当時の事業名である東京ロマンドクレープ(TOKYO ROMANDO CRAPE)をすぐに設立。
ロール状に巻いたクレープを研究開発し、フランス車シトロエンのレトロトラックによる移動販売のクレープ屋を福島市内に出店。
福島の23歳の青年は、ポルシェくらいに乗ってないと通用しないんだなとその当時は思い込み、事業を始めたが、後に「今思えば(どんな車に乗ってるかは)それほどあまり関係なかった」と語る。
結局事業開始から1年以内に自分で稼いだお金ポルシェを購入。
その後、飲食以外にもアパレル関係・雑貨・輸入車販売などの事業にも手を広げたが、失敗。
他の分野にも事業を広げたことにより借金3700万円を背負うことになるが、初心に戻り飲食1本に集中することでその後2年で負債を全額返済する。
27歳の時、福島で4店舗になり東京進出を考えていたため「テレビに出れば無料で店の宣伝ができる」と思い番組に電話。
既にに東京に出店するための自己資金は十分にあり、虎のひとりにでも「おいしい」と言わせることができれば広告宣伝効果は十分。テレビを見ている人に「食べてみたい」と思わせることが一番の目的だった。
志願者オーディションでは「自分は将来、出資をする虎側の人間になりたい。志願者から始まって虎になるまるまで成り行きを追ってほしい」と伝える。
見事オーディションに合格し、志願者として出演することになり、番組スタッフのアドバイスもあり希望額を800万に設定。
そして希望額の800万円を3人の虎たちから獲得。
代官山で場所を探したが、移動販売車を置かせてもらえる場所が全く見つからず、表参道にて開店。
マネーの虎ではマネー成立した場合、その後を追う特番が組まれ、初日売上目標ノルマが設定され、初日の売上は19万1100円で売上目標のノルマ15万円を達成。
その後南原社長から「お前は井の中の蛙だ。井の中の蛙はそこしか知らないから。もっと知れよ。大きくなれよ」と檄を飛ばされ、お菓子の聖地フランスはパリへ単身修行へ。
そのフランスの地でもその後の特番ロケが組まれ、東京編・フランス編・のちの横浜編とマネーとの虎の中で番組編成に一番お金が掛かった回となった。
2003年の夏、東京1号店から半年後、横浜みなとみらいでの1号店をオープン。順調に業績を伸ばし、FC加盟店も含め10店舗に増え、年間売上3億円が見込めるまでに成長。
ここでも初日売上目標ノルマが設定され、半年前の東京の時の2倍の30万円とするが、見事30万9150円を売上げ目標達成。
吉田栄作から「マネーの虎」の称号を得る。若干28歳。フランスロールの生みの親であるデザートの虎がここに誕生。番組出演前に描いた自分がマネーの虎になる夢を1年もたたずに叶える。今後は投資をする側の虎として出ることになったが、翌年番組が終了したこともあり出演は実現しなかった。
ロマンドーロールのFC展開は全国50店舗に増え、年商22億まで事業拡大し、2005年7月、TBS番組『世界バリバリ★バリュー』に出演。
その後さらに50店舗増え、FC展開は全国100店舗を超え、ピーク時は年商63億まで事業拡大。
遊び癖と浪費癖があったことも重なり、一度失敗もするが、現在も株式会社ロマンドーロールジャパンの代表取締役として経営。
若いうちに金を掴んだから失敗したという味方もあるが、若いうちにお金を稼ぐことが夢だったので今までの人生を一切後悔していないと語る。
TV番組マネーの虎を当時の虎であった岩井社長が現在に復活させたYoutube番組での令和の虎に初回から虎側として出演を果たす。
長谷部文康 マネーの虎
アクセス日時:2022年3月28日(月)(日本時間)
会社
- 「株式会社ROMANDO ROLL JAPAN」創業者・代表取締役会長
年商
不明
累積投資金額
調査中
最高投資金額
調査中
虎名場面集
出演した回の一覧
関連商品
各種リンク
長谷部文康(@Hasebe_Romando)-Twitter
株式会社ROMANDO ROLL JAPAN
株式会社ロマンドーロールジャパン公式Facebook